2006年卒業レポート集の刊行にあたって
「トヨタの5つのなぜ」と大学教育の本質
本学の学則には、本学の教育目標として「深く広い教養と豊かな知性」、「自由な発想と新しい創造力」、「鋭い感性と先見性」が謳われ、これらの要約として「企業家・起業家マインドの養成」が掲げられている。非常に変化の激しい現代において、既存の方法や考え方だけでは、解決できない状況が散見される。そのときに、主体的に問題解決に当たる能力を「企業家・起業家マインド」と表して、学生の備えるべき能力として、教育の主眼に置いたのだと考えている。
問題が複雑になればなるほど、さまざまな価値観が交錯し、自分がよりどころとする原理原則を深く意識しなければ、進むべき道を誤ってしまう。盲目的に既存の方法を踏襲したり、大局的な合理性を見失い局所的な利益を尊重したりと気づかぬ失敗を犯してしまう。そうならないために自分の役割や組織の目的を総合的、鳥瞰的に理解し、その理解の基に、状況を正しく判断し行動しなければならない。
トヨタ自動車の躍進は誰もが知るところではあるが、その躍進の原動力を探るために、トヨタ式経営(マネジメント)が種々の側面から研究されている。我々が学生の頃(20年以上前)以降、トヨタは日本の車産業のトップ企業であり、1973年のオイルショックと1991年のバブル崩壊による経済環境の大きな変化にも関わらず、黒字を維持し続け、現在の世界的規模の企業に成長している。
そのトヨタの企業風土の中で種々の格言があるが、その中から我々の行動への指針を与える一つを紹介する。トヨタでは「5つのなぜ」と言われる行動基準が慣例として示されている。課題に対して、「なぜ」と問いかけて、その答えにまた「なぜ」を問いかけるという具合で、「なぜ」「なぜ」を5回繰り返すつもりで、深く原因を追求せよというメソッドである。ある事がらについてあるいは問題について、「なぜそのようになっているのか?」という問いを5回繰り返して本質に迫るという思考習慣である。問題解決の場面における「なぜ」には、本質に迫るチカラがあり、 原因の追及により真因(本質)に迫ることが可能となる。「なぜ」を「何のために」と置き換えると自分の行動決定の際の目的が明確になり、迷いや戸惑いを回避できる。
この本質(真因)の追求が大学教育の主目的であるが、本学ではさらにこの本質の認識力に加えて状況対応力を併せて「企業家・起業家マインド」と呼んで総合力の育成を目標にしている。講義ではなかなか「本質の認識」が如何にあるべきかを伝えることが難しく、知識教育や技術教育になっている場合が多い。大学の学修は、この「なぜ」を探求することにあると考えている。「なぜ」を探求するためには、一定の知識と考える力が必要であり、さらに意見を普遍的なものへとするためには人との交流が不可欠であり、そのためのコミュニケーション力が求められる。専門学校とは異なり、専門領域科目に加えて基礎教育科目がカリキュラムに組み込まれていることは、広い見聞を身につけてもらうためである。本質の探究と自らの意見形成の課題として卒業論文が課されている。
各自が問題設定した課題に対して、「なぜ」を繰り返しその解を求めるもしくは問題解決するプロセスが卒業研究である。残念ながら、時間の関係で「トヨタの5つのなぜ」のように5段階のステップは踏めず深堀できなかったが、1、2ステップの探求は行えたのではないだろうか。
知識、特に情報関連の知識は、技術の進歩とともに陳腐化する。しかし、「5つのなぜ」によって真因を究明する行動は、時代の趨勢に関係なく共通なものである。その意味で、各自が設定した課題を各自が解決する卒業論文の作成過程は、物事の本質に迫る活動であり、今後の社会生活の中で必要な能力の錬成にはなったのではないかと考える。
情報化が進むにつれ時代の流れが加速化されている感がつよい。大学での知識や技術は、種子で例えるなら根であり、発芽がするときの栄養となる子葉であり、これから社会へ大きくのびていく皆さんにとっては基礎になる栄養であるが、大学で学んだことだけでは対処できないことも多々あるだろう。そのようなときには是非、卒論で行ったことを思いだして事にあたってほしい。卒業研究の遂行経験は、諸君の活躍の原動力になることと思う。
人間、安易な道があればどうしてもそちらを通ってしまう傾向がある。学問でも同じようなことがある。そのためわれわれ教員の役割には「学生の退路を立ち決断させること」もあげることができる。「単位を出さないぞ!」、「留年やな!」と繰り返し皆さんに話したのは、個人的には失礼であるとの認識もあったが、皆さんに決断してもらう(卒論を書くと覚悟してもらう)ための方便である。皆さんが管理職になったとき改めて評価してほしい。
最後に、これから社会に旅立つ皆さんへ、餞の言葉として以下の言葉をおくる。これは、詩人サムエル・ウルマン(宇野収、作山宗久訳)の「青春」という詩の一節である。卒業式によく引用される詩である。 精神活動の停滞が老いを加速するとの一節は、逆にいうなら、行動の中に満足や幸福があることを示唆しているように感じる。行動しているときに精神的な安定を感じることと共通しているように思える。皆さんが、大学時代の知識や技術を踏み台に大きく羽ばたかれることを祈念する。
「青春とは怯懦を退ける勇気、安易を振り捨てる冒険心を意味する。
ときには、20歳の青年よりも60歳の人に青春がある。
年を重ねただけで人は老いない。理想を失うとき初めて老いる。」
2007年3月1日
三好 哲也